小林麻央さんを「偲ぶ会」が、6月23日に行われたニュースを目にしました。その中でまたも話題を集めているのが、姉・麻耶さんの言動です。関係ないニュースを見ていても目に飛び込んでくる程、麻央さん亡き後、海老蔵さんと麻耶さんの関係を推測する記事も多い中、昨日の麻央さんの一周忌では、それが誤解だと麻耶さん自身も述べられたそうですね。
実際、麻耶さんと海老蔵氏の結婚は120%有り得ないと思います。その理由は割愛しますが、仮に麻耶さんにはその気があっても、海老蔵氏は彼女を嫁にする選択肢は皆無だと思います。
これまで私は、彼女らの話題について述べる事はしないでおこうと思いましたが、麻耶さんと似たような境遇で苦しんでいる人も見ることがあるので、少し書いてみようと思います。
麻耶さんの言動の “何が” 群衆を不快にさせるのか?
小林麻耶・麻央姉妹は、美人で屈託なく性格も良いはずで、人々から嫌われる理由はどこにもないはずなのに、いつも批判の的に晒されます。特に姉の麻耶さんは謂れのない中傷や批判が溢れ、彼女のファンは一部の人に限られているとも言えるかも知れません。世の中にはどんな物質・状態にも賛否両論あるとは言え、これ程まで本人の努力虚しく憧れを持たれず、好意的な反応も少なく、むしろ不快にする対象の代表格とされているのはなぜなのか?
それは、麻耶さん自身も気づいていない、落とし穴にハマった状態ゆえ…と言えます。
麻耶さんが初めてテレビに出られるようになったのは大学生の頃のようですが、当時から既に「ぶりっ子キャラ」で知られるようになりました。しかし、本人は当時から「これが素なんです」と否定されているのを何度か見たことがあります。おそらく、そこに嘘偽りはなく、いわゆる「ぶりっ子」と言われる彼女の言動は、多少の意識はあったとしても、それが本当の性格だったのだと思います。19・20歳位の年齢は良くも悪くも軽くキャピキャピできる齢ですし、麻耶さんは演じているワケではなく、真実に天真爛漫な性格でおられたのだと思います。
しかし、当時テレビ番組を盛り上げるという理由も相まって、「ぶりっ子」だと指摘されることで、世間にもそれが知れ渡り、多くの人が彼女を「ぶりっ子」と認知するようになると、麻耶さんは当然それを否定されていましたが、やがて「自分が本物である」「ぶりっ子を演じている訳ではない!」というのを証明しようという意識が過剰に彼女を支配するようになりました。その為、「男性のいないところではこんな風ではないよ」とか「裏表がある」と言われないように、自分の本物を証明するという動機から、ぶりっ子を徹底するという意味で遂に演じるようになっていき、それが現在に至るまでの彼女の呪縛となったのです。
個人差はありますが、人は誰しも、19歳前後の頃はまだ子供なので、知識も経験も内容もない状態ゆえに、良い意味でも悪い意味でも軽く浅く薄っぺらい人間性ゆえに明るくキャピキャピしていますが、年齢を重ねるにつれて色々な知識や経験を積み、内面が充実してくると20歳前後の頃とは違い、落ち着きや重厚感を出せるようになりますし、それが普通です。
しかし、麻耶さんは自分の性格が本物である、つまり「ぶりっ子」ではない事を証明する為の呪縛に憑りつかれていますから、40歳目前になった今でも20歳前後の頃の証明を体現し続ける中で、今後は別の違和感が彼女の代名詞になりました。つまり年齢を重ねることで出るはずの、大人の色気や艶や落ち着きがない事が、今後は世間の“批判”の的になっているのです。
つまり、現在の麻耶さんに多くの人が不快になる理由は、もはや「ぶりっ子」という印象ではなく、「偽り者」としての違和感なのです。
実際、若い頃から麻耶さんは叩かれることが多かったですが、その理由も実は「ぶりっ子」だからではなく、「偽り者」としての違和感からでした。多くの人は彼女への不快感を「ぶりっ子」と表現していましたが、「ぶりっ子」が真の理由ではなく、その状態になる彼女の本質に不快感を感じていたに過ぎません。
では、当時多くの人が「ぶりっ子」として批判した際に実際に感じていた本質とは何か?
それは「どんな時でも常に笑顔」という間違った解釈から出る努力です。笑顔であれば幸せになれる、笑う門には福来るではないですが、10~15年ほど前になるでしょうか、「笑い」が特にピックアップされる時期がありました。笑顔でいれば幸せになれる、という間違ったポジティブシンキングの考え方が流行しました。今となってはそれがどれだけ身体に悪影響かというのは知られるようになりましたし、幸せになれる「笑顔」はあくまで結果である、ということも分かって来た人も多いですが、ブームの中で勘違いした人も多く、麻耶さんもその一人でした。
その努力から出る偽りの姿に不快感を抱かれていた麻耶さんだったのですが、「ぶりっ子」に多くの人が批判的と勘違いした事が、今日に至るまでの致命的なミスに繋がっています。
人には目には見えない物を見極める能力、すなわち洞察力が備わっています。その能力の優劣はあるにせよ、多くの人が本物か偽物か見抜く能力を持っています。その為正しい洞察力のある人物であれば、麻耶さんの言動に不快感を持つのは当然のことなのです。
ダウンタウンの松本人志さんが、某番組で「僕はぶりっ子とは思わないですけど、人として嘘くさい」と述べられたそうですが、これはまさに的確な表現です。
そして麻耶さん自身も、もはや呪縛に憑りつかれた状態で、自分がどうすればいいのか分からない状態でおられるはずです。何をしても評価されず裏目に出る状態は辛いものです。先程、少しネット検索しただけで多くの批判記事を読むことが出来ましたが、麻耶さん自身もあまりの辛さゆえに、嫌われる勇気とかスピリチュアルにハマっておられるのを知りました。
小林麻耶さんは、どうすれば良いのか?
麻耶さんは「ぶりっ子ではない」というのを証明するために生きておられます。実際にお会いした事はないですが、最近久々に拝見したネット上のお姿は、40歳手前とは思えない幼さです。もしかしたら、汚名返上の為に無意識に成長を止めておられる可能性もあります。
しかし麻耶さんが常に浴びる批判は、「ぶりっ子」という印象ではなく、「偽り者」としての違和感なのですから、麻耶さんが世間の評価を取り戻す方法は、まず「ぶりっ子否定」を止める事です。
そして成長を止めていると述べた程に、この20年間に彼女は何もしてこなかった、といっても過言ではない程、年齢にそぐわない内面になった事で、現在は驚くほど薄っぺらい人間性となってしまっているので、知識や思いや心意気を180度入れ替えることです。
実際、20歳の頃から20年間、彼女は全く成長していません。「ぶりっ子」ではないのを証明する故の行動が、20歳前後の頃よりも子供っぽくしています。事実、冒頭の笑顔の写真でも写る麻耶さんは幼稚園児か!と突っ込みたくなる外見です。寧ろ4,5歳の本当の幼稚園児のほうが、年齢に則した内面があるので、麻耶さんよりも色気があるかも知れません。また、本人で比べてもまだ22歳の頃の方が大人っぽいです。この年齢に逆行した内面が、彼女に対しての多くの人の「嘘っぽい」印象の根源です。


そしてもう一つは、「笑顔」信仰を止める事です。麻耶さんの笑顔がどんな場面でも常にワンパターンであることをお気づきの方も多いと思いますが、これが彼女が“笑顔を作っている”証拠です。笑顔はあくまで結果です。その場に相応しい笑顔が出せる心の状態にすることが最も大事であって、“笑顔ありき”ではないのです。その為、笑顔でいよう、という意識を捨て、内面に焦点を当て、知恵と知識を手に入れて、真の優しさ善良さなどを手に入れる事に注力出来た時、彼女は幸せになれます。
麻耶さんが、年齢に沿った姿、あるいは年齢以上の充足した内面を手に入れた時、彼女はおそらく多くの人の称賛を手に入れることが出来るはすです。
最後に、年齢を重ねることで、より多くの人の心を掴んだ女性の例をご紹介します。
最近の若い人は知らない可能性もありますが、イギリスの女性初の首相となったサッチャー元首相です。



若い頃は誰しも可愛いし、外見だけで勝負できるので、例え内面が空っぽでも問題ありません。しかし、年齢を重ねた後で評価され愛されるのは、内面の円熟さを具現化した外見と滲み出る重厚感です。サッチャー女史は若い頃も可愛く好感が持てますが、後年の姿は人々を魅了するに相応しい姿になられています。もしサッチャー女史が、40代、50代になっても若い頃の状態をキープしたまま、可愛い子ぶっていたなら、世界から時代を超えて憧れられる存在には絶対成り得ません。
老いは誰にとっても嫌なものです。しかし、魅力的な老いであれば恐れる必要はありません。魅力的な老いとは、若い子には敵わない魅力を出せる状態、つまり人間的な深みと落ち着きと重厚感が出せるということです。勿論その為の努力は必要です。
人は、年齢よりも上の内面を持つ人は尊敬し敬愛しますが、内面が年齢にそぐわない人物は容赦なく攻撃を仕掛けるものです。
麻耶さんも40歳という年齢に則した内容を手に入れて、心身共に充実し、真に評価される状態になられることを願うばかりです。